そして家族の夢を見る

コンドーム自販機にある「明るい家族計画」のキャッチコピー。コンドーム自販機を巡る内に、家族について考えてみたくなりました。

かつてコンドーム自販機が置かれていた台
かつてコンドーム自販機が置かれていた台

守りたいもの、得たいもの③…セーフティ フォー ユー

死に至る性病。

そんなものは過去、いや歴史上の話。江戸か明治か、大正か。私が最初にエイズを知ったのは10代の頃。イギリスでアーティスト達がエイズによる差別を無くそう、自分達の体を守ろうとキャンペーンを始めたからだった。

有名なアーティスト達がコンドームを片手に真剣に私達に語りかけるCM。それは私がエロや下ネタ以外でセックスやコンドームを日常の空間で初めて触れた瞬間だったように思う。そして病が差別の対象になると知ったのもエイズだった。

その頃の私はエイズが、ゲイの間だけの病ではないと既に知っていた。通っていた病院に貼ったままになった古いポスターには、エイズはまだ男性同士の性行為によって感染すると説明されていた。なかなか呼ばれない待合室で「それは違うんだけどな」と思ったのを覚えている。 



今エイズは死に至る病ではない。だがエイズを発症させるHIVウイルスから私達を守る存在がコンドームなのは今も変わらない。戦後、家族計画と共に家庭に普及したコンドーム。コンドームを避妊具と呼んでいた事もあった。今でもそう呼ぶ人々は多いだろう。しかし、エイズの登場がコンドームの性感染症予防の面を再び私達に必要とさせた。

それはコンドーム自販機にも影響する。コンドーム自販機は登場当初から「子どもに悪影響が及ぶのではないか」と言われてきた。そのため都道府県の青少年健全育成条例によって設置の制限を設ける県もあった。だが1993年当時の厚生省はこの制限を見直すよう通知する。この通知により規制県は半減した。

またこの頃、硬貨しか使えなかったコンドーム自販機に紙幣が使えるものが登場する。今でもその自販機は残っており、ショーケースの上には「SAFETY for YOU」の文字がある。これはエイズの存在を受けて出来たコピーだろう。 更にこれまでの硬貨しか使えない自販機の中にには「STOP AIDS」のステッカーが貼られている自販機があり、ここでも性感染症予防としてのコンドームをアピールしている。


コンドーム自販機は性病の蔓延を愁いた、大阪でシャツの製造業を営む男性によって1969年に生み出されたものだった。男性は週刊誌のインタビューで、夫達が売春婦やホステスを経て性病に感染し、それを家庭に持ち込むのだと答えている。コンドームがあれば性病を防げる。しかも自販機なら対面せずに買える。そう考え、タバコの自販機を改造したそうだ。冒頭のエピソードは1992年頃の話。歴史は巡ると言うが、病まで巡るものなのだろうか。



さて、私はこのシリーズの題名を「守りたいもの、得たいもの」としている。今回の守りたいもの、得たいものは健康だ。だが病気から自分を守るためにコンドームを使用する人がどれだけいるだろうか。避妊にしても病気にしても、コンドームを着けなくても必ず妊娠、必ず感染する訳では無い。だけど人々のセックスにおけるコンドームの役割や目的はほぼ避妊に絞られている様に思う。なぜか。

病気への意識はほぼないにも関わらず、妊娠に対しては策を取ろうと思うのは、妊娠した後の自分の生活がどう変わるのかが具体的に想像できるからだ。

それに比べ性病に感染した後の生活についての具体例は少ない。あったとしても軽度なもので「またなっちゃったー」と開き直るかのような体験談等はとてもよく聞く。誰だって性病を含め、どんな病気にも罹りたくない。でも具体的にどうなるか分からない。ならば軽度な経験談をサクッと読み、100%感染する訳では無いのだしと、面倒臭いコンドームは着けずに膣外射精でいいじゃないかと楽な方に逃げたくもなるだろう。真面目に予防に必要だと訴えても、実行する人々を増やせないのだ。一体人々の何に訴えればいいのだろう。


私は何の根拠もなく、家庭の中で性病は発症しえないと思っていた。特に夫婦間では。しかし、コンドーム自販機の登場のきっかけは家庭での性病の蔓延だった。この頃街にはヒッピー達がいてフリーセックスを訴えていた。

その後援助交際が登場し、今はパパ活と名前を変化させている。不倫ブームを幾度か繰り返され、現在も続いている。若者間での性病は無くならないし、健康寿命の延伸と共に"死ぬまでセックス"と週刊誌で特集が組まれ、高齢者であっても性病に感染する人々が存在している。

いつの時代にも、どの年代にも「性の乱れ」と切り取れる部分はあるのだ。家庭の中だけが聖域なんてことはない。だけど性病への予防意識は希薄なままだ。

「自分だけは大丈夫」との性病への根拠のない自信。この自信を支えているのは性病に罹りたくない気持ちと、自分自身への倫理感と、性病への無知と不安と恥をかきたくない心理。どれも気持ちばかりで、本当は少しも自分だけは大丈夫ではない。でも大丈夫なのだ。全部見なかったことにすればいい。そんな事よりも目の前の快楽に手を伸ばしてしまえばいいのだ。


子どもが今できるのは困るが、性病には無関心。セイフティー フォー ユー。誰の?何の?性病予防としてのコンドームへの意識の広がらない。なぜだ。

私はいつもセックスについて考えると混乱する。


快楽

コミュニケーション

快楽

倫理

快楽

生殖

快楽

快楽

快楽


恥。

私の文章はまとまらず、空中分解している。


実はセックスはコミュニケーションだというのは詭弁だと言いたいくらいに好きじゃない。でもその一面もあるとも言える。エロと下ネタだけでセックスを語れば表面だけで上滑っていく。だけどセックスには言語が一切打ち切られて、ひたすら貪るの欲望の部分もある。更に娯楽でもある。そして人間の生殖行動でもある。だからと言って神聖に語る気もない。そして性病を発症させる手段でもある。どこを切り取ってもセックスの全てではない。私はどこかだけを切り取って話したくはない。切り取った途端に薄っぺらくなる気がする。そして文章はまとまらない。


このまとまらなさがもしかしたら、性病予防としてのコンドームへの意識の広まらなさなのかもしれない。


※注意 :全ての性病がコンドームのみで予防出来るわけではありませんが、コンドームは性病予防に有効な医療器具です。 



参考文献

週刊文春 昭和44年 7月21日号

週刊新潮 昭和44年 7月19日号






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